自分の生きる場でどうすればいいのか(32307 佐々木さん)。認識形成への収束を高め、認識転換を加速しうるためには、企業経営の上流に認識形成サイトへの参加という「社会統合課題」を位置付ける企業をいかに増やすかということが求められると思います。
>外向仲間とは、人工的な仲間関係ではなく、あるいは強制された私権課題としてではなく、初めて人々が自分たちで仲間関係を作り始めたと言えるのではないでしょうか?(27684 冨田さん)。
私権社会の終焉が現実のものとなり、初めておのれから湧き上がる外向欠乏に誘われて、認識仲間をつくることができるようになりました。しかし、われわれが、生産主体である企業に属し、何らかの生産活動に従事するということは、なんら変わっておらず、これからも変わることはありません。
すなわち、ようやく外向収束を同じくする認識仲間との交流が可能な状況に置かれたとしても、一日の大半の活動を行うことになる企業が、単なる私益私権の獲得の「場」として留まってしまうのは、自分が生きる場が永遠に変わる気がしないのも当然で、あまりにもさびしい現実だと思います。
また、企業にとっても問題は山積みです。まず、人材の成長や活性化の視点で見ても、社員が昔のようにがむしゃらに働いてくれないや、モラルの低下などの悩みは、共通の不全であり、経営者への提案ネタは尽きないように思います。さらに、組織の利益を追求する主体である「企業」は、大衆の共認圧力で、自社の利益のみを追求することは許されない状況となっています(利益追求から派生した環境問題、廃棄物問題等の社会的な矛盾に対する対応が利益確保のための必須課題となっている)。企業は本来、社会的な役割を担い、その対価として利益を得ており、この本源収束の潮流のなかで、貧困の消滅に応える物的生産から、新たな社会的役割を創出していくことが求められている状況にあると思います。
その新たな役割を、認識形成という課題として位置づけ、組織運営の最上流に位置付けられれば、利益追求→環境破壊・・・→滅亡という魔ルーチンを、みなの共認によって制御しうる社会が実現し、企業側からしても、人材の活性化と大衆共認の獲得が可能です。まさしく、己の生産の場である企業の変革とは、自分の生きる場でどうすればいいのかという課題に他なりません。己の「生産の場」を変革していくことこそ、実現派にとって己の潜在思念からフツフツと沸きあがる欠乏に実直なありようではないかと思います。 |
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